ブログ整理 [活動]
2008年から書いてきたこの日記、最後の半年を日本語教育ブログ(http://j-sachi-nihongo.blog.so-net.ne.jp/)に引っ越したり、いろいろいじってみたのですが、最終的にはハンガリー時代の記録は、この「ゆに・ハンガリー通信」でまとめることにしました。
最後の半年、妙に日本語教育の話題が増えているのはそういう理由です。
それまでの自分ではどうしようもないことに直面したり、大きな仕事の中でへたれそうになったり、でも何とかしようとあがいたり、ハンガリーの空や川や街並みの中にいることが好きだったり。
そんな日々のことです。
いつか思い出して、とても懐かしくなる日がきますように。
最後の半年、妙に日本語教育の話題が増えているのはそういう理由です。
それまでの自分ではどうしようもないことに直面したり、大きな仕事の中でへたれそうになったり、でも何とかしようとあがいたり、ハンガリーの空や川や街並みの中にいることが好きだったり。
そんな日々のことです。
いつか思い出して、とても懐かしくなる日がきますように。
送別会 [活動]
17日の金曜日に、職場の人たちが開いてくれた送別会。
教材作成でお世話になった方、講座の先生方、研修や勉強会に足を運んでくださった方を中心に、最後にいろいろな方とお話することができました。
できたこと、できなかったこと、もっと長期に関われるならできたこと、自分の判断でしなかったことやレベルを現実路線に落としたこと、逆にとにかくどんどんぶつかっていったことなど、ふりかえればいろんな仕事を経験させていただきました。
イベント系や職場でのとりまとめの経験はあっとはいえ、教材作成やコンサル、機関の枠を超えたコーディネイトなどは、私自身の経験値がスタート時点で低かったので、動けるようになるまではずいぶん時間がかかったような気がします。
えーっと、何て言うか、初領域でいきなり中間管理職を経験してしまったような感じでしょうか???
ずっと一緒にお仕事ができた方には、動けるようになってからのいろいろを経験していただけたのですが(それでもまだまだの部分はあるわけで、今後の課題です・・・)、心残りは初期にだけご一緒した方。
申し訳なくも思うし、何かいつか形を変えて、そういった方にも還元できるような仕事がしていきたい。
なので、とりあえずは健康に気をつけて、<仕事>という視点から、もうちょっと日本語教育に関わっていこうと思っています。
本当に、ありがとうございました。
教材作成でお世話になった方、講座の先生方、研修や勉強会に足を運んでくださった方を中心に、最後にいろいろな方とお話することができました。
できたこと、できなかったこと、もっと長期に関われるならできたこと、自分の判断でしなかったことやレベルを現実路線に落としたこと、逆にとにかくどんどんぶつかっていったことなど、ふりかえればいろんな仕事を経験させていただきました。
イベント系や職場でのとりまとめの経験はあっとはいえ、教材作成やコンサル、機関の枠を超えたコーディネイトなどは、私自身の経験値がスタート時点で低かったので、動けるようになるまではずいぶん時間がかかったような気がします。
えーっと、何て言うか、初領域でいきなり中間管理職を経験してしまったような感じでしょうか???
ずっと一緒にお仕事ができた方には、動けるようになってからのいろいろを経験していただけたのですが(それでもまだまだの部分はあるわけで、今後の課題です・・・)、心残りは初期にだけご一緒した方。
申し訳なくも思うし、何かいつか形を変えて、そういった方にも還元できるような仕事がしていきたい。
なので、とりあえずは健康に気をつけて、<仕事>という視点から、もうちょっと日本語教育に関わっていこうと思っています。
本当に、ありがとうございました。
記録ということ [活動]
以前ハンガリー日常ブログに書いた記事と同じなのですが、何故専門ブログを開こうかと思ったということ。
そのことを、ちょこっとここにもう一度貼り付けておこうと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
もともと日本語教師を始めた時期がインターネット黎明期と重なっていたこともあって、「何かひとつできることを増やそうかな」とソフトを購入し、記録としてつけ始めたのが日記のスタートでした。
日本にいた頃はもっぱら日々の仕事の記録や感想といった感じだったのですが、ドイツ・中国ではその土地で経験したことや、離れた友人たちへの近況報告も兼ねていたものでした。
HPからブログに移行したのはちょうど中国勤務が開始された頃ですね。
ハンガリーでもそのつもりだったのですが、多少難しい面がなかったとは言えないこともありません。
「敢えて書かなくてもね」という気分になったこともあるし、一教師として学生や同じ立場の同僚たちとわいわいやっていた頃とは違い、書きたくても書けないことも増えてきました。
友人たちも働き盛り・子育て真っ最中で、忙しくしているというのもあります。
意見を交換したり人間関係を広げたりという面で、Twitterを活用することも増えました。
つまり、自分がひとつの年代に入ったということ、それから媒体の持つ機能が変わってきたということではないかなと思います。
もともと私にとって日記はポートフォリオ的な要素があって、10年近く続けていると、読み返してみても「新人の時はこんなこと考えていたんだ」とか「こういうことに興味があったんだ」という発見があります。ちょっとしたプロジェクトの段取りなどを記録していることもあります。
なので、そういった機能として続けたい部分もあるのですが、むしろTwitterのほうがメモ的に記録しやすいこと、ある部分ボカして書きやすいこと、そこから他者と話が発展していきやすかった面があり、だんだんブログの記録が減ってきました。
忙しい日々の中で、それでも敢えてPCを開けてブログを続けるとしたら何だろう。
と思うと、それはやはり「他の人にとっての読みやすさ、情報のとりやすさ」なのではないかなと思います。
だってTwitterでこれ↓ って、Twitterをやってない人にとってはけして読みやすいものではないですよね。
http://twitter.com/juni_sachika
そうなると、むしろ自分の名前も出して、立場も出して、ある種パブリックな内容を意識していったほうが、自分にとっても書きやすいし続けやすいのではないかなと思います。
その国の日々の生活は非常に楽しくて、もちろんそれを記録していくことの面白さはあるのですが。
(2011年1月1日)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なるほど、専門ブログに切り替わってからは、確かに妙にマメに更新してますよね。
だけど、私の日常ってそんなに記録することないんだろうか(苦笑)と、ちょっと思ったり。
と、3か月目のふりかえりでした。
そうか。もう、3か月。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「専門ブログ」に引っ越したものの、数年経ってやはりハンガリーの記録はまとめておきたいと思い、こちらにインポートしました。
あー、私って…
何故そんなに懲りたがる?? と言われそうですが、長い時間続けていると、続ける中で自分なりに意味が出てくるからなんでしょうね。
(2013年12月29日)
そのことを、ちょこっとここにもう一度貼り付けておこうと思います。
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もともと日本語教師を始めた時期がインターネット黎明期と重なっていたこともあって、「何かひとつできることを増やそうかな」とソフトを購入し、記録としてつけ始めたのが日記のスタートでした。
日本にいた頃はもっぱら日々の仕事の記録や感想といった感じだったのですが、ドイツ・中国ではその土地で経験したことや、離れた友人たちへの近況報告も兼ねていたものでした。
HPからブログに移行したのはちょうど中国勤務が開始された頃ですね。
ハンガリーでもそのつもりだったのですが、多少難しい面がなかったとは言えないこともありません。
「敢えて書かなくてもね」という気分になったこともあるし、一教師として学生や同じ立場の同僚たちとわいわいやっていた頃とは違い、書きたくても書けないことも増えてきました。
友人たちも働き盛り・子育て真っ最中で、忙しくしているというのもあります。
意見を交換したり人間関係を広げたりという面で、Twitterを活用することも増えました。
つまり、自分がひとつの年代に入ったということ、それから媒体の持つ機能が変わってきたということではないかなと思います。
もともと私にとって日記はポートフォリオ的な要素があって、10年近く続けていると、読み返してみても「新人の時はこんなこと考えていたんだ」とか「こういうことに興味があったんだ」という発見があります。ちょっとしたプロジェクトの段取りなどを記録していることもあります。
なので、そういった機能として続けたい部分もあるのですが、むしろTwitterのほうがメモ的に記録しやすいこと、ある部分ボカして書きやすいこと、そこから他者と話が発展していきやすかった面があり、だんだんブログの記録が減ってきました。
忙しい日々の中で、それでも敢えてPCを開けてブログを続けるとしたら何だろう。
と思うと、それはやはり「他の人にとっての読みやすさ、情報のとりやすさ」なのではないかなと思います。
だってTwitterでこれ↓ って、Twitterをやってない人にとってはけして読みやすいものではないですよね。
http://twitter.com/juni_sachika
そうなると、むしろ自分の名前も出して、立場も出して、ある種パブリックな内容を意識していったほうが、自分にとっても書きやすいし続けやすいのではないかなと思います。
その国の日々の生活は非常に楽しくて、もちろんそれを記録していくことの面白さはあるのですが。
(2011年1月1日)
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なるほど、専門ブログに切り替わってからは、確かに妙にマメに更新してますよね。
だけど、私の日常ってそんなに記録することないんだろうか(苦笑)と、ちょっと思ったり。
と、3か月目のふりかえりでした。
そうか。もう、3か月。
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「専門ブログ」に引っ越したものの、数年経ってやはりハンガリーの記録はまとめておきたいと思い、こちらにインポートしました。
あー、私って…
何故そんなに懲りたがる?? と言われそうですが、長い時間続けていると、続ける中で自分なりに意味が出てくるからなんでしょうね。
(2013年12月29日)
OPI修了 [活動]
時間が経ってしまいましたが、OPI何とか終了しました。ぱちぱちぱち。
OPI、Oral Proficiency Interviewの略。
そのテスターの認定試験に何とか合格することができました。
いやもう全く、大変でした。仕事も大変なのに、何でこんな大変なこと始めてしまったんだろうと思ったこと多々。この一年、週末を何度潰したことでしょう。
だけど続けられたのは、インタビューに答えてくださった人たちが、すごくキラキラした表情でいろんな話をしてくれたり、「生まれて初めて日本人とこんなに話した!」と言ってくれたため。
語ってもらうこと、耳を傾けること、相手に話すことの達成感を持ってもらうこと。そういうことをすごく学んだなと思います。
(それと、先生と仲間に恵まれたことも大きかったです)
言語的には、文を言い切ること、段落や展開へつながること、そしてそれが苦しくない聞かせ方ができること。それを授業の中で積み重ねていくにはどうしたらいいんだろう、と改めて感じました。
よくいますよね。一生懸命話していて、とても日本語が上手なんだけど、一人で長々しゃべっている感じで聞き手を苛立たせてしまう・・・という人。中には「性格による」ものもあるのでしょうが、やはり学習段階で起こってくる問題のように感じました。(ただし、この問題が起こりやすい性格というのはあるかもしれません)
何故起こるのかということ。それから、どういう形でそれを超えていけばいいのかということ。
そこを、意識して追いかけていきたいと思っています。
年末の一時帰国の時、「せっかく日本にいるなら何か勉強してみようか」と思って受講したOPI。
まだまだこれからです。
OPI、Oral Proficiency Interviewの略。
そのテスターの認定試験に何とか合格することができました。
いやもう全く、大変でした。仕事も大変なのに、何でこんな大変なこと始めてしまったんだろうと思ったこと多々。この一年、週末を何度潰したことでしょう。
だけど続けられたのは、インタビューに答えてくださった人たちが、すごくキラキラした表情でいろんな話をしてくれたり、「生まれて初めて日本人とこんなに話した!」と言ってくれたため。
語ってもらうこと、耳を傾けること、相手に話すことの達成感を持ってもらうこと。そういうことをすごく学んだなと思います。
(それと、先生と仲間に恵まれたことも大きかったです)
言語的には、文を言い切ること、段落や展開へつながること、そしてそれが苦しくない聞かせ方ができること。それを授業の中で積み重ねていくにはどうしたらいいんだろう、と改めて感じました。
よくいますよね。一生懸命話していて、とても日本語が上手なんだけど、一人で長々しゃべっている感じで聞き手を苛立たせてしまう・・・という人。中には「性格による」ものもあるのでしょうが、やはり学習段階で起こってくる問題のように感じました。(ただし、この問題が起こりやすい性格というのはあるかもしれません)
何故起こるのかということ。それから、どういう形でそれを超えていけばいいのかということ。
そこを、意識して追いかけていきたいと思っています。
年末の一時帰国の時、「せっかく日本にいるなら何か勉強してみようか」と思って受講したOPI。
まだまだこれからです。
<枠>ということ [活動]
今回専門ブログを開始してみて、今までと自分で違うなと感じたのは、記事をまだほとんど書いていない状態にもかかわらず、「カテゴリー」だけはさっくり立ててしまったということです。
「活動」「いろんなことから考える」「教師研修と、その周辺」「教室から」・・・といった内容。そして、その並び順。
ちなみにこの記事は、「仕事だとか、スキルだとか」に入る予定です。
ふむ、私はこういうことに今関心を持っているのだな。
二つのテーマが並んだとき、何をもってバランスをとっているのかな。
その並びは自分が書きやすいからなのかな、それとも読む人の視点を見て変えたのかな。
など、など、など。
このカテゴリーをつくる過程で、自分の中にいろんな発見がありました。
青写真を最初につくること。
そして、その青写真を見ながら、今の自分を改めて見直したり、発見したりすること。
それから、進めてみること。
進めながら時に修正をかけ、組み替えてみたりすること。
「最初に枠を決めるなんて」
という声もあるかもしれないのですが、強制される枠ではなく、自分自身で自覚的に自分の<枠>を考えてみることによって生まれてくる自由というか、発想や気づきもあるんじゃないかなというのが最近の考えです。
もし枠を意識しないまま、その場の勢いだけで進んでいった場合、そこに生まれるものは何かと考えると、まずはもちろん面白さ。そして、意外性の生み出す豊かさ。
ただ、一歩間違えるといつも同じところをぐるぐるまわっていきかねない危うさや、空中分解の恐れもあります。特に、中長期的な活動であればるほどです。そことのバランスを自分で持っておく必要もあるのではないかなと思います。
なので、<枠>を決める。<枠>を生かす。
とは思うのですが、意外と簡単なことではないんですよね。
そしてまた、これは仕事だとか生活だとか、いろんなところで当てはまる考え方のはず。
クラスをスタートするならば、学習者たちにどんな表情で教室に来てもらいたいか。
研修を開催するなら、研修が終わった後の、参加してくれた人たちがどんな風にクラスに向かってくれたら嬉しいか。
そのために必要な情報や、形や、時間や、ソフトやハードのいろんなことは何か。起こりうるリスクは何か。
途中で組み替えられることと、難しいことは何なのか。
そんなことをこつこついじりながら物事に向かっていく中にたくさんの発見があるのではないかと、最近はよく思います。
2012.06.10 追記
結局「仕事だとか、スキルだとか」のカテゴリーはなくして、「活動」と「いろんなことから考える」に振り分けることにしました。
まさに<修正>ですが、その過程で自分に何があったのかなあと思います。
「活動」「いろんなことから考える」「教師研修と、その周辺」「教室から」・・・といった内容。そして、その並び順。
ちなみにこの記事は、「仕事だとか、スキルだとか」に入る予定です。
ふむ、私はこういうことに今関心を持っているのだな。
二つのテーマが並んだとき、何をもってバランスをとっているのかな。
その並びは自分が書きやすいからなのかな、それとも読む人の視点を見て変えたのかな。
など、など、など。
このカテゴリーをつくる過程で、自分の中にいろんな発見がありました。
青写真を最初につくること。
そして、その青写真を見ながら、今の自分を改めて見直したり、発見したりすること。
それから、進めてみること。
進めながら時に修正をかけ、組み替えてみたりすること。
「最初に枠を決めるなんて」
という声もあるかもしれないのですが、強制される枠ではなく、自分自身で自覚的に自分の<枠>を考えてみることによって生まれてくる自由というか、発想や気づきもあるんじゃないかなというのが最近の考えです。
もし枠を意識しないまま、その場の勢いだけで進んでいった場合、そこに生まれるものは何かと考えると、まずはもちろん面白さ。そして、意外性の生み出す豊かさ。
ただ、一歩間違えるといつも同じところをぐるぐるまわっていきかねない危うさや、空中分解の恐れもあります。特に、中長期的な活動であればるほどです。そことのバランスを自分で持っておく必要もあるのではないかなと思います。
なので、<枠>を決める。<枠>を生かす。
とは思うのですが、意外と簡単なことではないんですよね。
そしてまた、これは仕事だとか生活だとか、いろんなところで当てはまる考え方のはず。
クラスをスタートするならば、学習者たちにどんな表情で教室に来てもらいたいか。
研修を開催するなら、研修が終わった後の、参加してくれた人たちがどんな風にクラスに向かってくれたら嬉しいか。
そのために必要な情報や、形や、時間や、ソフトやハードのいろんなことは何か。起こりうるリスクは何か。
途中で組み替えられることと、難しいことは何なのか。
そんなことをこつこついじりながら物事に向かっていく中にたくさんの発見があるのではないかと、最近はよく思います。
2012.06.10 追記
結局「仕事だとか、スキルだとか」のカテゴリーはなくして、「活動」と「いろんなことから考える」に振り分けることにしました。
まさに<修正>ですが、その過程で自分に何があったのかなあと思います。
2010年をふりかえる [活動]
今さらながらですが、仕事もプライベートも合わせて2010年を思い出してみました。
ーー2010年前半ーー
前半は昨年に引き続き、「プロジェクト運営」が一大テーマだったので、事務と仕切りをひたすらやっていました。そして、「職場というもの」「上司というもの」「運営というもの」をずっと考えていました。
自分自身の立場を明確にしておきたかったこともあって、コンテンツには意図的に入らないように決めていました。
でも、それだけだと足りないなと思ったので、CEFRやJFスタンダード、そして接触場面や協働といったことをテーマに、こつこつ勉強だけは続けていました。
それと、OPIを一年を通じてやっていました。
この時期の反省点としては、確かに仕事を前に進めることはできたけれど、<勉強>の部分が還元されていなかったな、ということが挙げられます。
確かに学会発表などはしましたが、現場にと向かう方向性をもう少し出すべきだったと思っています。
ーー2010年後半ーー
後半は、状況が少し変わってコンテンツに関わることが増えました。
まず、久方ぶりに現場に戻り、モデルクラスとしてのゼロ初級クラスと、月1回ペースで上級クラスを担当することができました。
平行して、各種教材の開発や実践にずっと関わっていました。
こつこつ積み上げてきた教材や実践の試行版を、どこかで還元したいと思っています。
それから、勉強会の内容について、自分なりに軸を決めてみました。
「教授法」です。
2年半皆さんとご一緒してきて、「こういうことが勉強したい」と少しでも感じてもらえるような勉強会にしたいと思っています。
ーー学会・発表・発信などなどーー
6月には「ブルガリア日本語教師会」、8月には「日本語教育連絡会議」、それから「ヨーロッパ日本語教師会」でそれぞれ発表してきました。
また、先述の内容と重複しますが、ファシリテーター的に関わってきた勉強会を、とりあえず「講師」として運営していくことにしばし方針を定めました。
『月刊日本語』の12月号にも短い記事を書きました。
ブログのあり方にちょっと行き詰りを感じて、それで2011年になるのに合わせて専門ブログをスタートしました。
ーープライベートーー
ハンガリー語を休み休み勉強していた他は、これがあまりたいしたことなかった面かもしれません。
休みの日には、家の近所をぶらぶらして、いつの間にか顔見知りになった近くの人たちと「やあ」と挨拶を交わすのが楽しみという、ひたすら地味な日常でした。
国外には何回か行きました。
3月には仕事でドイツのケルンへ、6月には同じく仕事でロンドンへ行きました。
4月のマケドニア行きはアイスランドの火山灰のため流れてしまいましたが、5月にはOPIのインタビューでスロヴァキアを訪問し、そのままウィーンへ。
6月にはブルガリアで教師会に参加させていただき、それから8月には日本語教育連絡会議でチェコのブルノへ、それからヨーロッパ日本語教師会のシンポジウムでルーマニアのブカレストへも行きました。
・・・というと、どれも半分仕事ですね。
完全にプライベートで旅をしたのは、7月のセルビアとモンテネグロ一週間、それから12月にオランダのアムステルダムに行ったこと。
特にセルビアとモンテネグロはどうしても行きたかった場所なので、本当に行けてよかった。
写真です。まず、モンテネグロ、コトルの丘からフィヨルドを見て。
こちらはモンテネグロのスベティ・ステファン島。
モンテネグロ、ヘルツェグ・ノヴィの街。クロアチアとの国境近くです。
モンテネグロの路地。どの街にも、こんな路地があちこちに。
あの場所では今も同じように海があって、人が住んでいて、船が海を渡っているのかな、と時々思います。
そして、セルビアのベオグラード。
NATOの空爆で破壊されたままのビルです。
タクシーの運転手さんに私が広島出身だと言うと、それまで陽気な話しかしていなかったのが、「アメリカはひどい、本当にひどい」と何度も言っていました。
(同じようなことを、ドイツで知り合ったイラク人にも言われたことがあります)
バルカンに行くといろんなことを考えて、この冬には辺見庸の『もの食う人々』を読み返しました。
私は旅行が好きで、特に飛行機に乗っての旅行が好きです。
飛行機に乗って降りると、ハンガリーもセルビアもモンテネグロも日本も、空という点ではつながっているんだなあと思えます。
おまけは冬のアムステルダム。アンネ・フランクも、きっとこんな景色を見ていたはず。
ーー2010年前半ーー
前半は昨年に引き続き、「プロジェクト運営」が一大テーマだったので、事務と仕切りをひたすらやっていました。そして、「職場というもの」「上司というもの」「運営というもの」をずっと考えていました。
自分自身の立場を明確にしておきたかったこともあって、コンテンツには意図的に入らないように決めていました。
でも、それだけだと足りないなと思ったので、CEFRやJFスタンダード、そして接触場面や協働といったことをテーマに、こつこつ勉強だけは続けていました。
それと、OPIを一年を通じてやっていました。
この時期の反省点としては、確かに仕事を前に進めることはできたけれど、<勉強>の部分が還元されていなかったな、ということが挙げられます。
確かに学会発表などはしましたが、現場にと向かう方向性をもう少し出すべきだったと思っています。
ーー2010年後半ーー
後半は、状況が少し変わってコンテンツに関わることが増えました。
まず、久方ぶりに現場に戻り、モデルクラスとしてのゼロ初級クラスと、月1回ペースで上級クラスを担当することができました。
平行して、各種教材の開発や実践にずっと関わっていました。
こつこつ積み上げてきた教材や実践の試行版を、どこかで還元したいと思っています。
それから、勉強会の内容について、自分なりに軸を決めてみました。
「教授法」です。
2年半皆さんとご一緒してきて、「こういうことが勉強したい」と少しでも感じてもらえるような勉強会にしたいと思っています。
ーー学会・発表・発信などなどーー
6月には「ブルガリア日本語教師会」、8月には「日本語教育連絡会議」、それから「ヨーロッパ日本語教師会」でそれぞれ発表してきました。
また、先述の内容と重複しますが、ファシリテーター的に関わってきた勉強会を、とりあえず「講師」として運営していくことにしばし方針を定めました。
『月刊日本語』の12月号にも短い記事を書きました。
ブログのあり方にちょっと行き詰りを感じて、それで2011年になるのに合わせて専門ブログをスタートしました。
ーープライベートーー
ハンガリー語を休み休み勉強していた他は、これがあまりたいしたことなかった面かもしれません。
休みの日には、家の近所をぶらぶらして、いつの間にか顔見知りになった近くの人たちと「やあ」と挨拶を交わすのが楽しみという、ひたすら地味な日常でした。
国外には何回か行きました。
3月には仕事でドイツのケルンへ、6月には同じく仕事でロンドンへ行きました。
4月のマケドニア行きはアイスランドの火山灰のため流れてしまいましたが、5月にはOPIのインタビューでスロヴァキアを訪問し、そのままウィーンへ。
6月にはブルガリアで教師会に参加させていただき、それから8月には日本語教育連絡会議でチェコのブルノへ、それからヨーロッパ日本語教師会のシンポジウムでルーマニアのブカレストへも行きました。
・・・というと、どれも半分仕事ですね。
完全にプライベートで旅をしたのは、7月のセルビアとモンテネグロ一週間、それから12月にオランダのアムステルダムに行ったこと。
特にセルビアとモンテネグロはどうしても行きたかった場所なので、本当に行けてよかった。
写真です。まず、モンテネグロ、コトルの丘からフィヨルドを見て。
こちらはモンテネグロのスベティ・ステファン島。
モンテネグロ、ヘルツェグ・ノヴィの街。クロアチアとの国境近くです。
モンテネグロの路地。どの街にも、こんな路地があちこちに。
あの場所では今も同じように海があって、人が住んでいて、船が海を渡っているのかな、と時々思います。
そして、セルビアのベオグラード。
NATOの空爆で破壊されたままのビルです。
タクシーの運転手さんに私が広島出身だと言うと、それまで陽気な話しかしていなかったのが、「アメリカはひどい、本当にひどい」と何度も言っていました。
(同じようなことを、ドイツで知り合ったイラク人にも言われたことがあります)
バルカンに行くといろんなことを考えて、この冬には辺見庸の『もの食う人々』を読み返しました。
私は旅行が好きで、特に飛行機に乗っての旅行が好きです。
飛行機に乗って降りると、ハンガリーもセルビアもモンテネグロも日本も、空という点ではつながっているんだなあと思えます。
おまけは冬のアムステルダム。アンネ・フランクも、きっとこんな景色を見ていたはず。