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古いファイル [いろんなことから考える]

引っ越すたびに持って移動しているファイルがいくつかあります。

手書きの教案の束だったり、自作のプリント教材だったり、はたまた絵カードだったりしますが、その中に「某教科書の課ごとにプリント整理をしたファイル」があります。
新人の時に作成してそのまま持ち歩いていたのですが、今回久しぶりに開いてみて、あれ、と思ってしまいました。
うーん・・・今だったらこれはもう必要ないな、と。

そのファイル、例えば教科書の14課に「~ています」の文型導入があったとしたら、自作の「~ています」を練習させるプリントに加えて、さまざまな教材からコピーした「~ています」の練習問題が入れられているのですね。聴解あり、読解あり、ゲームあり、もちろん文法問題ありと、その内容は非常に雑多。
そして、ぱっと開けば何となく90分は授業ができるようになっている。

うーん、これってどうだろう。
新人の時には、確かにそういうものを必要としていたわけだ、けど。
違うな、と思ったのは、文型中心だからという理由ではありません。何と言うか、寄せ集め感なのですね。

もちろんそれを集めている過程で、「あ、こんな練習もある」「これは勉強になる」と思ったことも多々ありますし、絶対そういう経験も必要だったとは思うのですが、一方でこのままだと、単に「どう90分をやりすごすか」という状況に陥りかねない。
目の前にいる学習者を見たり、彼らに何ができるようになってほしいかを考えて総合的に授業を組み立てたり、という視点がない。
それから、教科書にはそれぞれ個性や方針があるはずなのだけれど、寄せ集めの切り張りだと、結局「いろんな文法パターンを練習させているものがいい」「問題が多いほうがいい」だけになってしまいかねない。会話や機能に力を入れた教材だとしても、その教材の本質を見極めることができず、ただ問題数だけで考えてしまいかねない。

多分、今ならそういうファイルをつくっても、違う形になると思います。
自作のプリントはちゃんと入れると思うけれど、他は違うかも。
あるいは、同じものをつくったとしても、視点や使い方が違うはず。
文法のドリルや口ならしは今でもするし、語彙習得の練習だってするけれど、90分、目の前にいる学習者それぞれに対して違ったものを提供しようとするし、ドリルもキューも全部自分で準備していくはず。だって、そのほうが絶対やりやすいから。
むしろ以前のやり方のほうが、「プリントできるだけたくさん作っておかなきゃ」「絵カードは」「レアリアは」と追われていて、自分の不安を埋めるために準備をしているような感じでした。

今のような視点ががっちり身についたのは、おそらくこの3年教材作成に携わってきたこと、そしてその教材を使ってのモデルクラスを担当してきたことがあると思います。モデルクラスの場合、他の教科書からのコピーや切り貼りなどをするわけにはいかないので、踏ん張って取り組んでいる間に、何かが身についてきたのではないかという気がします。

「初級の授業はレアリアや教材をたくさん持っていくのがいいと言われるけれど、ペン一本だけ持って行って、そこで授業を展開させられるかどうかも日本語教師の力だ」
という言葉を聞いたことがあります。
確かに、与えていったプリントを無暗とやるのではなく、その場の学習者の反応を見ながらぱっと練習を切り替えたり、プリントがなければノートに書いてもらったり、レアリアがなくてもジェスチャーや説明ができたりする力。
誤解がないように言えば、別にプリントを否定しているというわけではなくて、そのプリントが本当にその時のその学習者に必要なものか、あるいはまた、将来的に見て絶対に必要と感じているかといった、取捨選択していく教師側の力。

まだまだ及びませんが、ちょっとずつちょっとずつ、その場所に近づいていけたらと思っています。

日本語教育に転身して [いろんなことから考える]

この世界、最近は学部から日本語教育専攻という方もどんどん増えてはいますが、それでもまだ「他の分野からの転身」という方が多いように思います。

かく言う私も別の分野で大学院に行っていて(ドイツ語と歴史です)、その後しばらくしてから思い切って足を踏み入れた世界が日本語教育。転身組の一人です。

その状態、つまり、

 ・別の世界にいた。しかもそこで(無謀にも)がんばってみようとあがいていた。
 ・長い学生生活にげんなりしていたので、シゴトをしたかった(日本語教育との決定的な違いは、歴史には<現場>に相当するものがないということ)。
 ・そこから入ったのが日本語教育なので、最初からシゴトだった。

といういくつかの経験が、やはり今の自分にそれなりに影響を与えているような気がします。

何と言うか日本語教育がとにかくシゴトなので、学会などに自分が出る場合、アカデミックなもの<以外>を求めている部分もあるとか。
例えばそれは、人とのつながりだったり、ネットワークだったり、非常にはっきりとした「明日実践してみたい」という気持ちを現場の先生に持ってもらえたら、という部分。
そう思うのは、もちろん今の立場とも関わりがあるのでしょうね。

じゃ、アカデミックな面に興味がないかというとそういうわけではなくて、自分自身があの、非常に冷徹で研ぎ澄まされた「歴史論文」というものと格闘していた経緯があるだけに、今自分を支えている現場型日本語教育の、その背景の理論や分析に関わっている人には徹底してそれを極めてもらいたいし、こちらからも敬意を払っていきたい、謙虚に向かい合っていきたいと思っています。
だからこそ、研究性の高さを狙ったタイプの論文の中に、非常に主観的な記述や<ワタシ>度の高いものを見てしまうと、方法論の違いはあるのでしょうが、「そりゃないよなあ」と、思うこともたまにあります。

一方で、妙に早くから「分析」とか「理論」とか「緻密さ」とか「批判」といった世界にどっぷり入ったためか、緻密だったり分析力があることはごくごく当たり前で、もちろんスバラシイことには違いないけれど、世界を変える骨組みという程までには愛していない。
とにかくそれは、ごくごく平凡で当たり前のものなんじゃないかな、と感じている部分もある。
当たり前のものなだけに、必要でないと判断した場合は、逆にぽこんと脇にどけられるような気もしています。

まあ、それやこれやで気負いなくシンポジウムなどに出てしまう自分がいるわけですが、振り返ってみていいことなのかどうなのか。
最近は、もうちょっと勉強してみなければなと思っています。今度は、日本語教育の視点から。

他の、似たような背景の方はどうなのでしょうか。

すべきでないこと・する必要のないこと [いろんなことから考える]

以前教師研修をお願いした先生とご一緒した時、雑談の中で、
「<何をしているか>ということを示すことは多いけれど、<何をしていないか>という報告は意外とない。でもそれって大切なんじゃないか」
と思い、そんなお話をしたことがあります。

教師研修や実践報告の中で、いろんなアイデアが交換される。すごい、と思う。「やっていること・取り組んでいること」、それは目に見えやすい。
でも、「やっていないこと・取り組んでいないこと」は意外と語られない、見えてこない。
それはたまたま何らかの条件の中でやっていないだけなのか、それとも「やる必要がない」「もっと効率的な方法がある」からやっていないのか、「やることによってむしろ弊害がある」ことだからなのか、あるいはそもそも気づいていないのか。
実に、まちまちです。

授業に限らず、仕事全体にも言えるように思います。

プロジェクトに関わってきたり、組織の中で仕事をしていたり、特に長期的な仕事になってくると、やること・やるべきじゃないことをしっかり個々人が認識して、やるべきじゃないことに関しては、「正しい関わらなさ」でもって全体を進めていく。そういう力のようなもの。

そういう意味での、熟慮された<手抜き>って、私は大切だと思っています。
『月刊日本語』の中で、むらログの村上さんが「次世代日本語教師の賢い手抜き術」をずっと連載していらっしゃいますが、手抜きと言いつつも、必要と判断したところは誰よりも緻密で幅のある仕事をする、ということの大切さを感じます。
(まあ、手抜きという言葉を使わなくても、できる人は自然とできてるんでしょうが)

案外これって、学校で教えられていないことのような気がするのですが、どうなんでしょうね。

地震について [いろんなことから考える]

非常に不愉快な経験がありまして、それは何かと言うと、日本人数名でご飯を食べていたら全く知らない現地のおじさんがズカズカと近寄ってきて、
「どこから来たのか」
「日本人か。今回の震災についてどう思うか。意見を聞かせてくれ」

おじさん、ものすごく同情に満ちた真剣な顔をしている。
そして、私たちがひきつった表情をしていてもお構いなしに、
「どう思うか。感想を聞かせろ。気持ちを聞かせろ」

・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・ほんっとうに、不愉快でした。


よくありますよね。「そっとしておいてあげてほしい」と思うような場面でマイクが向けられたり、ずけずけした質問が浴びせられている状況。あんな感じでした。
いったい私たちに何を期待していたのか。泣いてほしかったのか。「募金に協力して」とでも言ってほしかったのか。本当にそんな感じでした。とても、善意に満ちた表情で。

ようやっと撃退し、それからいろいろ考えました。

震災後初めてのクラスで、受講生たちがとても暗くて悲しそうな表情で、日本人の教師にどう話しかけたらいいかと戸惑っていると聞きましたが、それこそ彼らの誠意だったのではないかということ。

それから、自分自身は西日本の出身で、家族も家も全く何の問題もなかったわけだけれど、外から見ると、ひとくくりになるのだということ。

そして、自分の出身地は大丈夫だったとはいえ、私たちがこんなに悲しかったり不愉快だったりするのは、やはりそれが自分の国だからじゃないかということ。もし他の国のことだったら、その男性のようなことをけしてしないと言い切れるのか。

震災から2週間。
こんな目にあったのは今回が初めてだったので、もちろんこの国の人全てではないし、本当に優しい気持ちに触れることのほうがずっと多かったわけです。でも。

今回の震災の時に外の国にいる。
だからこそ考えること、考えられることもきっとあるのだと思います。(そしてまた、だからこそ気がつかなくなることもきっとあるのだと)

地震のこと [いろんなことから考える]

3月11日、地震が起こった日、私はまだハンガリーにいました。
そして、次の日から10日近く日本にいました。
この時期日本に帰るのは、以前から決まっていたことです。
帰ろうかどうしようか、あまりのことに混乱してしまい、それでも帰ることにしました。もし行き先が自分の国でなかったら、とりやめていたかもしれません。

職場での衛星放送、自宅でCNNとBBC、それからNHKがustream配信を始めたことがわかったのでそれもずっと。
荷造りをしながら一睡もできませんでした。実家の広島は震源地から遠いので問題はないとわかっていましたが、自分の家族や友人がどうこういう以前に、津波や火事の映像に茫然とするばかりでした。
そうしているうちにTwitterで、電気、電気、という言葉が流れ始めたように記憶します。が、何のことだか、実はピンときませんでした。

本当に眠れないまま、空港へ行きました。
経由地のウィーンでたまたま話したお店の人は、私が日本人だとわかると、とても優しく、でもひっそりとした声のかけ方をしてくれました。
通常成田行きの便はシベリアを通るのですが、その時はロシアから南下しました。北京、ソウルを経て西日本へ。中国地方、それから長野の山々を見、福島あたりで迂回して成田へ入るという見たことのないルートで、素人考えですが、飛行機は既に関空に降りることも想定していたのかもしれません。
太平洋と海岸が見えた時、誰もがじっと飛行機の中から海岸線を見つめていました。

日曜日の成田、そして関東は平和でした。ようやく、交通も回復しはじめた最初の日だったと思います。
お店の人と話すと、
「家が揺れた時、おばあちゃんがこんなひどい揺れは経験したことがないと言った」
「埼玉は震源地になることは滅多にないので、ここがこんなに揺れるなら震源地はどんなにひどいだろうかと思った」
と言っていました。
部屋ではずっとテレビを見ていました。原発爆発のニュースが入ってきました。

次の日からは余震に加えて、停電、断水、食料や生活必需品の調達不足が始まりました。交通手段も混乱していました。もちろん街は一見したところ平和で、それなりに仕事もできる環境ではあったのですが、何となく張りつめた雰囲気が漂っていました。閉まっている店も多くありました。そんな時だからこそ、人と一緒にいることの大切さを感じました。

帰りの便は成田発着がとりやめになってので、関空からとなりました。
そうして私は今またブダペストにいます。

Twitterを見ているといろいろな呟きが流れてきます。
余震のこと、地下鉄に閉じ込められたこと、神経が過敏になってすぐに反応してしまう辛さ、水がない。いろんな言葉が聞こえてきます。
私は地震のはじまりはヨーロッパにいて、それから関東へ、関西を経てまたヨーロッパに戻りました。その中で、自分のまわりの景色や地震に対する感覚が、どんどん変わっていくのを感じました。
計画停電、水も止まる、PCも使えなくなる、急いで携帯を充電する、夜も余震が怖くてゆっくりシャワーも浴びられない、静岡が揺れた、まさか西まで、ああトイレットペーパーがない、ATMが動いていない、それから大規模停電の恐れ、寒い、毛布をかぶる、でも、被災地はこんなもんじゃないんだ。
そしてまた、関東で直接地震を経験した人たちの不安感が、後から日本に入った自分とは明らかに違っているのも感じました。

だから、「わかる」なんて言ってはいけないのだと思いました。
「その時日本にいた、だからわかる」という言い方もやはりできないと。
私たちはわからない。だけど、その時、「わからない」私たちの一人一人が、世界観が壊されるほどのショックを受けた。そのことは言えるのだと思います。

それから、もうひとつ。
今回はいろいろと守られた中での滞在でした。そんな自分の立場をありがたくももどかしくも感じましたが、安心感もありましたし、生活も維持することができました。多分それは受け入れる側からすると、大変なことだったのではないかと思います。
最近もエジプトやリビアの問題がありますが、そんな時、私たちは国外退避ができる。安全なところへ行ける。そういう時、後ろめたさを感じることはないのかと時々思うことがありました。

だけど、退避することは恥ずかしいことではない、と思います。
もちろん現地に根付いた人や、逃げたくても逃げられない人もいる中で、こういった言い方をすると誤解が起こってしまうかもしれませんし、もちろん避難というのは最後の手段だとも思います。
でも、本当に極限の状態においては、現地に根付いてもいない私たちはやはり逃げることは責められない。何故なら、足手まといになる恐れもあるから。必死の生活の中で、余計な混乱やストレスの元となってしまうから。きちんと見つめて、逃げられるならしっかりと逃げて、そしてそこで何かできることを考えるのは恥ずかしいことではない、と。

ハンガリーでも、日本のこと、震災のことを考える人に会いました。
これだけはちゃんとしなければ、と思って、上級クラスの授業では受講生に震災のことを冒頭で話しました。
大学時代、北関東や東北、北陸の友人が多かったのですが、東北の歴史の深さ、自然と街の美しさ、そしてお米や魚がとても美味しかったこと。そういうことも、もっともっとみんなに知ってもらえたらと思っています。

海外の苦手 [いろんなことから考える]

時々、日本から来られた学生さんとお話する機会があります。
特に、教育実習などで来られた学生さんには仕事内容についてご説明したり、「海外に暮らすこと」についてお話したりするのですが、その時、いつも思うこと。それは、
「海外で辛いことって何だろう」。

一般的な心構えとは別に、私個人が「辛い」「苦手だ」と思う点や、人から聞いたことはいくつかあります。

まず、絶対的なインプット量の少なさ。
たとえ言葉がわかる国でも、入ってくる情報がとても限られている。
また、外国語を通して入ってくる情報だと、どこか「物の輪郭をグローブの上からなぞっている感じ」が抜けない。
そうすると、何だか自分が物を知らない人間になったような、ものすごく頭が悪い人間になったような、そんな感じがいつもしていてそれが苦しい、というのがあります。

それから、人間関係。
「海外はのびのびできていいね」とも言われますし、確かにそういう面もあるのですが、意外と限られた人間関係や、知り合いの知り合いはみなつながっている状態が、一歩間違えると閉塞感につながる危うさもあるのではないかと思います。ただ、これは人によって受け止め方は違うでしょう。
また、現地語が十分にできない場合は、現地の知り合いは外国語ができる人に限られてしまうので、これもまた人間関係が閉ざされてしまう理由ではないかなと。
私と同年代だと、それぞれ仕事や家族の世話に明け暮れているので、外国人にいちいち構っている余裕なんかない場合が一般的で、一番話をしてみたい同年代の友人ができにくいというのもやや辛いところです。

何をもって苦手とするかというのは人それぞれなのでしょうが、とにかく、「苦手な状況を知っておくこと」「それを解消する方法を知っておくこと」が一番大切なのではないかな、と思う今日この頃。

私の場合、街歩き・自然の中歩き・何かを発見することとか。
それから、一言でも二言でもいいから、現地の人と現地の言葉で何かを話すこととか。
新しい言葉を、ちょっとでも覚えること。
ひとつでも、「昨日と違う何か」を、街の中に見つけようとすること、などなどなど。

でも、やはり一番自分を元気にするのは、自分は何故ここにいるのか、という軸をブレさせないことかな、と思います。もちろん目的が変わることはあるでしょうが、目的を見失ってしまうのは私にとってかなり危険な状況のような気もするのです。

何故海外に出ようと思ったか。何故ここにいようと思ったか。そもそも何故自分は海外の日本語教師になろうと思ったか。
ともすれば不安定になりかねない海外の日々の中で、そういう軸を時々確かめたい、と思うのですが、皆さんはどうされているのでしょうか。

教養としての日本語 [いろんなことから考える]

日本で日本語教育に関わっている人とお話すると、思うことがあります。
例えば、
「中東欧の学習者はどうしてあんなに優秀なんでしょう。身近に日本人がたくさんいるわけでもなく、就職に直結しているとも限らず、どうして日本語を勉強するのかと聞いても<好きだから>という答えしか返ってこない。それなのに非常に高いレベルまであがっていく。それは何故なのでしょう」
という疑問を提示された時。
今までにも、何度も何度も聞かれたことでもあります。

これを聞かれると、思うことはあります。それは、「実用ではないからこそ天井がない」「趣味だからこそ高いレベルまで登れる」という部分はないのか、ということです。

生活の中で、「・・・ができるようになる」ということを目指す、まさにCan-do。
「C1以上は目指させない。なぜならそれは<美文>といったスタイルに関わるものだから、とりあえず実用には必要ない」
と、例えば言い切ることは、もちろんひとつの目標設定でもあり、安心感にもつながるものですが、もし「その言葉を学ぶこと自体が喜び」であれば、どんどん高みにあがっていくのではないか。
この地域の学習者たちは、そうやってどんどんあがっていっている可能性はないのか。

もちろん学習スタイルの相違もあると思います。
中東欧に来て、以前住んでいた場所に比べて、「あ、ここは違う」と思ったのは、<暗記>が生きている、ということです。
もちろんひらがな学習に苦労しているという話もよく聞きますが、それなりにモチベーションがあるクラスだと、「ひらがな、覚えといて」というと、コツコツカツカツ、次の週には一人で覚えてきてしまう、というのが一般的。
漢字にしても、形、例文、音読み、訓読み、筆順、部首、画数に至るまで、きっちりきっちり覚えてきそうな気がします。
そういう学習スタイルが下支えになっているとは思いますが、それだけなのか。

確かに、日本語が実用言語であることで、モチベーションは高まる。
日本語力も高まる。
だけど、実用言語じゃないとしても登っていける可能性、というのはないのかどうなのか。
実用じゃないからこそ、「これは必要じゃない」と決めてしまわず、何もかも吸収したくなるような気持ち。

私自身が外国語を専攻する学生だった時、一番語学力でかなわないなあ、と思っていたのは文学専攻の人でした。言葉に何だか深みがあるのですね。
で、今ほど留学が一般的ではなかったとはいえ、海外が学生にとってそれなりには身近になっていたので、会話することもきちんとできる人たちだったな、と思います。

そういうことを考えてみたいと思っています。

制限の中で何を行うか、ということ [いろんなことから考える]

今までの海外勤務はいずれも任期付き派遣だったので、「いつか帰る日」は最初から決まっており、延ばしてもせいぜい一年程度という状態で仕事をしてきました。

そういう状態で仕事をしていると、お客様的立場の限界も感じますし、その地に腰をすえて仕事をしている先生にはかなわないと思うことが多々ありました。

基本的に今でもそのようには思っているのですが、最近少し変わったことがあります。
それは、「制限の中で何を行うか考える」ことの大切さです。

例えば、限られた任期で何ができるか。
その間に、目の前の学習者に、一緒にいる人たちに、その国や場所の日本語教育に何が残せるか、という発想。
そういう中で試行錯誤しようとすること。それを考える訓練をし、実践を積むこと。それって当たり前のようで、実は忘れそうになってしまう視点なのではないかなと思います。

「限られた任期」だけではなく、これっていろんなところに当てはまるんですよね。

例えば、6か月しか受講期間がない学習者。
さまざまな制限の中でのプロジェクト。
さらにもっと教師の具体的な状況から考えれば、何の視聴覚機材もない教室。機材どころか、紙やコピーもままならない環境。
1クラス50人や100人で行わなければならない会話授業。どんなに日本語に自信がなくても指導しなければならない作文教育。
モチベーションのない学習者。学習ストラテジーのない学習者。雰囲気の悪いクラス。日本語教育に無理解な周囲の環境。理想の学習イメージと現実の受験対策の落差。
・・・挙げていけばキリがないなと思います。

以前はこういった次々ふりかかってくる種々雑多な問題を、種々雑多なまま個別に対処しようとしていた気がします。けれどもそうなると、軸がない状態で果てしなくふりまわされてしまうんですね。
でも、「制限の中で何ができるか」という視点を自分の中に置いておき、その部分を鍛える訓練を意識的にしておくと、何となく軸がすっきりとしてくるような気がします。

任期つき派遣で仕事を続けるということは、例えば各地の実践、多様な経験を自分の中に積み重ね、客観的に持っておくことができるというだけではなく、「限られた中で何ができるか」を考える機会にもなるのではないかと、改めて最近感じます。
現地に根をおろしている先生方に敬意を表することはもちろんですが、「そうでない自分」というものに、その立場だからこそできるプライドを持つことは、やはり必要ではないかと思います。
(あ、でも本当にできないことや、やらないほうがいいことがあった時、それを見極める力も絶対に必要なんですよね)

もともと、基本的に「グチきらい」という性質があります(実は)。
ただ、どんなにグチきらいでも、どんなに考えようとしても、何もないところには何も生まれないわけで、「問題を常に意識的に持ち歩いておくこと」、それから「自分自身にインプットをし続けること」「インプットされたものを吸収する力」を持っておきたい、と、思っています。

「海外で教える」 [いろんなことから考える]

『月刊日本語』2月号特集「海外で教える」特集の中に、ポーランドで働いていた仲間の記事を発見。
単身クラクフの日本語学校に派遣されていた時の話を読んで、何だかいろんなことを思い出してじーんとしてしまいました。

海外で教えるというのは、大変。でも、面白い。
私自身は日本語教師としてのスタート時はさほど海外志向が強いほうではなく、日本も好きだし、日本に住むのはとても楽しいと思っていました。
日本語教育もどちらかと言えば興味を持っていたのは日本に住んでいる生活者の支援のほうでした。でもそのためには一度は自分が海外に出る経験も必要かな、と思っているうちに、気がつくと海外のほうがメインとなってしまったクチと言えます。

今まで<派遣>という形で、しかも地方都市や、日本語がわりとマイナー・ランゲージとしてとらえられている国に派遣されることが多かったので、私が見てきた世界は非常に限られています。
でも、その立場の中で思ったことがいくつかあります。

例えば、海外では「何でもやる」「何でもできる」という状態を求められることが多いということ。
「教えてもらう」とか「指導を受ける」とか、「自分はまだまだだからこれしかできない、これしかやらない」とか、日本語教師もネイティブ話者の数も限られた国では、そんなこと言っていられません。
まず、授業がそう。
「作文教えたことないから」とか「コースデザインなんてわからない」など、言っていられないのです。どんな新人だって、やる時はやらなきゃならない。それは日本でももちろん同じだけれど、海外のほうがこういった状況に遭遇する可能性はかなり高いように思います。
それから、機関によっては上司であることを求められたり、外部機関との調整を必要とされたり、一転して掃除やお金の計算や広報のためのビラまきや、まさにいろんなことをしなければならない、できなければなりません。

と同時に、相手を尊重して、相手にやってもらったほうがいいことも絶対あります。自分が本当にできないことは抱え込みすぎない。自分がやらないほうがいいことも自分から手放していく。誰かに任せる。誰かを活かす。そういうことを見極める大切さと難しさも感じます。

ポーランドの友人も単身で派遣されて、カリキュラムをつくったり教科書を選定したり、それから予算をとって「日本語学校祭」を企画・実現したりと、いろんなことに積極的に取り組んでいたとのこと。素敵な2年間だったはずだし、そういう大切な時間は、やはりその都度その都度の悩みや壁があって、だからこそ生まれてきたものなんだろうな、とも思います。

私も<海外>という場所にはずいぶん育ててもらいました。
かつて、非常に早い段階で、予想以上に重い責任の中に放り込まれてしまったことも、やはり海外ならではの経験だと思います。
中にはトンチンカンな活動をしていたこともあったし、何かをしたくてもどうしたらいいかすらわからないこともありました。後から、「どうしてあの時はできなかったんだろう」と思い出して申し訳なくなるようなことはたくさんあります。だけど、やはり海外の面白さはとても強く感じます。

ただ、「海外だからできない」「海外だからぶつかる壁」は、特に自分が一教師だった頃に痛感していたことでもあり、その環境をどう整えていくかということ。それは今後もずっと考えていきたいと思っています。

写真はポーランド・クラクフの夕焼けです。

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異文化理解 [いろんなことから考える]

昔々、といってもそんなにも遠くない昔、日本でアジアの学習者たちに予備教育をおこなっていた頃、慣れない国で生活と勉強と将来の不安でいっぱいになっている20歳そこそこの学生たちがよく言っていた言葉。

「自分の国ではそれは違う」

例えば、食べ物のマナーが違う。

よく言われますが、中国や韓国は直箸文化。最近は日本も直箸が増えたけど、その時は
「直箸でいきましょう」
「直箸でいいよね」
と、声をかけますよね。それはつまり、直箸が「正式なマナー」ではないことを意味していると思うのです。

「日本に来て違う、と思ったことは何ですか」
「例えば、自分の国ではみな自分の箸で料理をつつきます。取り箸などは使いません。そうですね・・・風邪をひいている時は違います。でも、私たちにとってはそれが当たり前なんです」

そうすると、親切な日本人はもしかするとこう答えるかもしれない。

「そうですか。でも、ここは日本ですからね」

こういうやりとりは、何度も何度も耳にしました。
そして、まだ日本語も十分ではない留学生たちが苛立たしそうにしたり、「でも私たちは○○人だから!」と声を荒げるのも聞いてきました。私自身も外国暮らしで、特に現地にどっぷり漬かっていたドイツなどでは、同じような気持ちを持ったこともありました。そういう気持ちは、もちろん言葉ができるようになるとある程度説明もできるようになりますが、でも、結局のところ言葉とは別の場所での堂々めぐりもあったりするのですよね。

最近、たまたま「異文化理解」を勉強する機会が多くありました。何しろ、CEFR真っ只中のヨーロッパですから。

何冊か本を読んだり話を聞いたりしている時、出会ったのがD.I.E.分析、そして、矢代京子・世良時子『日本語教師のための異文化理解とコミュニケーションスキル』でした。

特にこの本の最終章「異文化コミュニケーションスキル」は非常に実践的で啓発されます。

1、D.I.E.判断保留
2、アクティブ・リスニングとエポケー
3、開かれた質問、掘り下げた質問
4、要望を伝達する

の内容です。

例えば、「アクティブ・リスニングとエポケー」の項では、①「まず相手の話を傾聴すること」(文化背景が違うと早とちりしてしまう)、②自文化に基づく判断を保留して傾聴し、自分は相手のことをどう受け止めたかを伝えるコミュニケーション=エポケー(判断保留、判断停止)、という過程が示されています。その場合の示し方も、「感情のパラフレーズ」「内容のパラフレーズ」があり、それぞれどのような機能があるのかも説明されています。

また、ただ傾聴しているだけではこちらの要望も伝わらないので、どのように要望を伝えていくか。
①事実描写、②感情を伝える、③具体的要望、④効果(行動の変化でどのような効果があるか)の要素の盛り込み方が、「要望を伝達する」の項目では書かれています。

こういう価値観に踏み込むなんて、とか、語学教育がそこまで関わっていいいのか、などという意見や反発もあるでしょう。
でも、実際に日本に行って、日本と接して、自分の気持ちがうまく伝えられなくて、「ここは日本だから」の一言に言い返せなくて悔しそうにしていた留学生たちを思うと、やはりこういった訓練は教師側にも、そして学習者側にもとても必要なものなのではないかと思います。

「異文化理解」をテーマに座談会をしてみたこともあるのですが、まさにこの本の中にあるとおり、
「何が正しいとか間違っているとか議論をし出すと価値観の異なるもの同士では延々と論じ合うことになる、かえって問題をこじらせてしまう可能性があります」(矢代・世良『日本語教師のための異文化理解とコミュニケーションスキル』152ページ)。

こういった知識をどう学生に身につけてもらうか。(←やり方を間違えるとイヤらしくなってしまう)
あるいは、どのような形で教師研修に生かせるか。

ということを、もう少し具体的な形にして、示していければと思っています。
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