スロヴァキアへ [旅]
思い出し日記、まだまだ続きます(笑)。
去年、ウィーンに続いて旅したのは、スロヴァキアのブラティスラバでした。
ブダペストからは日帰りで行ける距離だったのですが、思い切って一泊。
で、ここでもしつこく昔話におつきあいください。
かつてウィーンからドナウ・クルーズに参加した時、折り返し地点だったのがブラティスラバでした。
当時はチェコスロヴァキアという国で、冷戦末期で、船で行ったけど上陸することはなく、でも、ライトアップされた城がとても印象的だったことを覚えています。
その後、論文テーマには「チェコ」を選択。
オーストリア寄りの視点で書いていたため、ハンガリー領だったスロヴァキアについては、一般教養レベルの知識より先には進まず。
それでも、「チェコスロヴァキア」という国でもあったためか、何となく心にひっかかる場所ではありました。
1992年にスロヴァキアの独立が決定した時は、研究室中で息をのんで見守りました。
ルーマニアではとうにチャウシェスクが処刑され、ユーゴスラヴィアでは紛争が勃発。
それに加えて、あんな、ヨーロッパの真ん中の地域で戦争が起こったりしたら、世界はどうなってしまうんだろう。
そんな気持ちもあって、ずっと行ってみたかった国のスロヴァキアは、2008年現在は、ユーロ導入も目前に控えた、清潔で落ち着いた静かな街でした。
宿泊したホテル。あれは絶対、社会主義時代の国営ホテル。
やたらでっかい。エレベーターも広い。でも、遅い。そして、暗い。
今にも壊れそうなベッドや薄い壁。
だけど、ホテルのおじさんは親切だったな。
窓から見える街の夜景は、日本の地方都市に何となく似ていました。
私はここで、朝からケーキを食べました。
そのケーキの前でしばらくたたずんだ後、一度は離れたおじさんが、私がとったのを見て、自分もケーキをとりました。
20年前のままのこのホテルの姿も、遠からず消えていくものかもしれない。
その時に、私の中のブラティスラバもまた姿を変えると思うのです。
去年、ウィーンに続いて旅したのは、スロヴァキアのブラティスラバでした。
ブダペストからは日帰りで行ける距離だったのですが、思い切って一泊。
で、ここでもしつこく昔話におつきあいください。
かつてウィーンからドナウ・クルーズに参加した時、折り返し地点だったのがブラティスラバでした。
当時はチェコスロヴァキアという国で、冷戦末期で、船で行ったけど上陸することはなく、でも、ライトアップされた城がとても印象的だったことを覚えています。
その後、論文テーマには「チェコ」を選択。
オーストリア寄りの視点で書いていたため、ハンガリー領だったスロヴァキアについては、一般教養レベルの知識より先には進まず。
それでも、「チェコスロヴァキア」という国でもあったためか、何となく心にひっかかる場所ではありました。
1992年にスロヴァキアの独立が決定した時は、研究室中で息をのんで見守りました。
ルーマニアではとうにチャウシェスクが処刑され、ユーゴスラヴィアでは紛争が勃発。
それに加えて、あんな、ヨーロッパの真ん中の地域で戦争が起こったりしたら、世界はどうなってしまうんだろう。
そんな気持ちもあって、ずっと行ってみたかった国のスロヴァキアは、2008年現在は、ユーロ導入も目前に控えた、清潔で落ち着いた静かな街でした。
宿泊したホテル。あれは絶対、社会主義時代の国営ホテル。
やたらでっかい。エレベーターも広い。でも、遅い。そして、暗い。
今にも壊れそうなベッドや薄い壁。
だけど、ホテルのおじさんは親切だったな。
窓から見える街の夜景は、日本の地方都市に何となく似ていました。
私はここで、朝からケーキを食べました。
そのケーキの前でしばらくたたずんだ後、一度は離れたおじさんが、私がとったのを見て、自分もケーキをとりました。
20年前のままのこのホテルの姿も、遠からず消えていくものかもしれない。
その時に、私の中のブラティスラバもまた姿を変えると思うのです。
ウィーンへ [旅]
週末を利用して、初遠出をしてきました。行先は、以前短期で語学留学をしていたウィーンです。
「いつかまた来ることあるかな」とか「留学するならウィーンがいいなあ」とずっと思ってたのですが、そんな機会もないまま●●年。
思いもかけない形で、またヨーロッパにやってきました。
そういえばあの時は、金・土・日を使ってブダペスト旅行をしていたのでした。
何だかいろんなものが懐かしいような、不思議なような。
プラーター遊園地のかたかたジェットコースターも健在だったし、「本物の馬」を使ったメリーゴーラウンドもまだありました。
フリーマーケットに行って、「そういえば、前はここには来なかったよな」と思ったり、食べそこなったデーメルのケーキもちゃんと食べてきました!
それから、ふと思い立って当時の学生寮をさがしてみたのですが、「行けばすぐわかる」と思っていたのに、改修されたのかなくなったのか、それとも私の記憶違いか、どうしても見つけることはできませんでした。
違ったのは、当時は全然話せなかったドイツ語が、今は日常会話程度なら何とかなるようになったこと。
それから、「将来どうなる」というのが全然わからなくて不安だったのが、今はもう「働き盛り」というような年齢になってしまったこと。
カフェに行って、
「大学卒業したらどうしよう・・・」
なんて話をしていたみんなも、今はもう社会人としてがっちり地に足をつけてたり、子どもを育てたりしているに違いありません。
もう連絡とっている人もいなくなってしまったけれど、みんな元気かな。
「旅に行く」ということが、今よりももっと意義深く特別なことでもあった、あの年代のことを懐かしくも思います。