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実践研修について思うこと [教師研修と、その周辺]

実践研修を敢えてやろうと思っていて、特にこの秋からはなるべく理論や背景や考え方のようなものを組み込もうとしているのですが、それには理由があります。

「実践は楽しいけど、学んだことが直接今の現場で使えるわけがない」
「実践は、1回や2回受けたからって何も変わらない」
「受けてもいいかな。今は役に立たないけど将来役に立つかもしれない」
実践研修について聞く、そんないろいろ。

わかる、わかる、わかる。
という気持ちと、
違う、違う、絶対そうじゃない。そうじゃないはず。
という気持ち。

私自身は別の分野から転向してきたので日本語教育のスタートも遅いし、下っ端時代も長かったので実践研修はどちらかと言えば受ける立場のほうが長い人間でした。
もともと勉強していたのが歴史系だったこともあって、理論に関わってくるような内容は楽しめるし、自分にとっても入り込みやすいし、また、そこからたくさんの刺激を得ていたのですが、実践研修は実は少し苦手だったというのは事実です。「実践とはいっても直接使えるわけではない」という気持ちもありましたし、授業準備に追われている時であればあるほど、「どうせなら、職場で使ってる問題集の教材研究ぐらいがいいなあ」と思ったりもしていました。

それは当時の私に「受け取るだけの力がなかったから」と言ってしまえばそれまでなのですが、主催者側にまわることも多く、そして実践を求められることもある今、改めて感じるのは、参加してくれる人にそんな気持ちを持たせるような研修は、そもそも何か問題があるんじゃないかなということです。
そこでふりかえると、確かに当時も自分にとって印象に残る研修がいくつかありました。
それはどういう研修だったかと考えると、「発想転換させられるような」「はっと気付かされるような」実践研修だったのだなと思います。

アイスブレイキングやゲームをたくさん教えてもらった研修に参加したことがありました。
ひとつひとつの活動が明日の授業でそのまま使えるというのもありましたが、心に残ったのは、講師の先生が言われた「無駄と思えるような遊びの時間を通じて、クラスの人間関係ができていくこと」。
あ、そうだな。
と、思った瞬間でした。ごくごく新人の、駆け出しの頃です。

私、授業の中でもちろんゲームとか遊びの要素を入れることにしていたけど、「上達」「習得」以外に考慮していたことはあったかな。人間関係に結びつけたりしていたかな。
ゲームや活動をしても、最終的には「個人」しか見ていなかったんじゃないかな。
「学習者が遊ぶこと」ことをむしろ「時間の無駄」と無意識に見ていなかったかな、いや、そこまででもないかな、どうかな。

そんな風に考えながら受けた研修は、私自身にとって実になるものだったのを覚えています。去年あたり、少し<協働>を考えていたのは、昔々のそこに原点があった気もします。

「<明日すぐ役に立つもの>をやってもすぐには使えない」
「ベテランは理論研修に、新人は実践研修に」
「実践研修は、来てくれた人が元気になって帰ってくれればそれでいい」

いや、ダメだ、と思う、それでは。あるいは、それだけでは。

みな、大事な時間を割いてわざわざ来てくれているわけで、今日が終わっても明日が終わっても残るものを残したい。そして<実践>は原点。明日授業を行うということは、そもそも教師の原点のはず。少なくとも、主催者側としてはそういう真摯さのようなものでもって、研修を行わなければいけない。

そういうの、できているかなあ、という反省のような気持ちも込めて、今これを書いています。
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