2010年をふりかえる [活動]
今さらながらですが、仕事もプライベートも合わせて2010年を思い出してみました。
ーー2010年前半ーー
前半は昨年に引き続き、「プロジェクト運営」が一大テーマだったので、事務と仕切りをひたすらやっていました。そして、「職場というもの」「上司というもの」「運営というもの」をずっと考えていました。
自分自身の立場を明確にしておきたかったこともあって、コンテンツには意図的に入らないように決めていました。
でも、それだけだと足りないなと思ったので、CEFRやJFスタンダード、そして接触場面や協働といったことをテーマに、こつこつ勉強だけは続けていました。
それと、OPIを一年を通じてやっていました。
この時期の反省点としては、確かに仕事を前に進めることはできたけれど、<勉強>の部分が還元されていなかったな、ということが挙げられます。
確かに学会発表などはしましたが、現場にと向かう方向性をもう少し出すべきだったと思っています。
ーー2010年後半ーー
後半は、状況が少し変わってコンテンツに関わることが増えました。
まず、久方ぶりに現場に戻り、モデルクラスとしてのゼロ初級クラスと、月1回ペースで上級クラスを担当することができました。
平行して、各種教材の開発や実践にずっと関わっていました。
こつこつ積み上げてきた教材や実践の試行版を、どこかで還元したいと思っています。
それから、勉強会の内容について、自分なりに軸を決めてみました。
「教授法」です。
2年半皆さんとご一緒してきて、「こういうことが勉強したい」と少しでも感じてもらえるような勉強会にしたいと思っています。
ーー学会・発表・発信などなどーー
6月には「ブルガリア日本語教師会」、8月には「日本語教育連絡会議」、それから「ヨーロッパ日本語教師会」でそれぞれ発表してきました。
また、先述の内容と重複しますが、ファシリテーター的に関わってきた勉強会を、とりあえず「講師」として運営していくことにしばし方針を定めました。
『月刊日本語』の12月号にも短い記事を書きました。
ブログのあり方にちょっと行き詰りを感じて、それで2011年になるのに合わせて専門ブログをスタートしました。
ーープライベートーー
ハンガリー語を休み休み勉強していた他は、これがあまりたいしたことなかった面かもしれません。
休みの日には、家の近所をぶらぶらして、いつの間にか顔見知りになった近くの人たちと「やあ」と挨拶を交わすのが楽しみという、ひたすら地味な日常でした。
国外には何回か行きました。
3月には仕事でドイツのケルンへ、6月には同じく仕事でロンドンへ行きました。
4月のマケドニア行きはアイスランドの火山灰のため流れてしまいましたが、5月にはOPIのインタビューでスロヴァキアを訪問し、そのままウィーンへ。
6月にはブルガリアで教師会に参加させていただき、それから8月には日本語教育連絡会議でチェコのブルノへ、それからヨーロッパ日本語教師会のシンポジウムでルーマニアのブカレストへも行きました。
・・・というと、どれも半分仕事ですね。
完全にプライベートで旅をしたのは、7月のセルビアとモンテネグロ一週間、それから12月にオランダのアムステルダムに行ったこと。
特にセルビアとモンテネグロはどうしても行きたかった場所なので、本当に行けてよかった。
写真です。まず、モンテネグロ、コトルの丘からフィヨルドを見て。
こちらはモンテネグロのスベティ・ステファン島。
モンテネグロ、ヘルツェグ・ノヴィの街。クロアチアとの国境近くです。
モンテネグロの路地。どの街にも、こんな路地があちこちに。
あの場所では今も同じように海があって、人が住んでいて、船が海を渡っているのかな、と時々思います。
そして、セルビアのベオグラード。
NATOの空爆で破壊されたままのビルです。
タクシーの運転手さんに私が広島出身だと言うと、それまで陽気な話しかしていなかったのが、「アメリカはひどい、本当にひどい」と何度も言っていました。
(同じようなことを、ドイツで知り合ったイラク人にも言われたことがあります)
バルカンに行くといろんなことを考えて、この冬には辺見庸の『もの食う人々』を読み返しました。
私は旅行が好きで、特に飛行機に乗っての旅行が好きです。
飛行機に乗って降りると、ハンガリーもセルビアもモンテネグロも日本も、空という点ではつながっているんだなあと思えます。
おまけは冬のアムステルダム。アンネ・フランクも、きっとこんな景色を見ていたはず。
ーー2010年前半ーー
前半は昨年に引き続き、「プロジェクト運営」が一大テーマだったので、事務と仕切りをひたすらやっていました。そして、「職場というもの」「上司というもの」「運営というもの」をずっと考えていました。
自分自身の立場を明確にしておきたかったこともあって、コンテンツには意図的に入らないように決めていました。
でも、それだけだと足りないなと思ったので、CEFRやJFスタンダード、そして接触場面や協働といったことをテーマに、こつこつ勉強だけは続けていました。
それと、OPIを一年を通じてやっていました。
この時期の反省点としては、確かに仕事を前に進めることはできたけれど、<勉強>の部分が還元されていなかったな、ということが挙げられます。
確かに学会発表などはしましたが、現場にと向かう方向性をもう少し出すべきだったと思っています。
ーー2010年後半ーー
後半は、状況が少し変わってコンテンツに関わることが増えました。
まず、久方ぶりに現場に戻り、モデルクラスとしてのゼロ初級クラスと、月1回ペースで上級クラスを担当することができました。
平行して、各種教材の開発や実践にずっと関わっていました。
こつこつ積み上げてきた教材や実践の試行版を、どこかで還元したいと思っています。
それから、勉強会の内容について、自分なりに軸を決めてみました。
「教授法」です。
2年半皆さんとご一緒してきて、「こういうことが勉強したい」と少しでも感じてもらえるような勉強会にしたいと思っています。
ーー学会・発表・発信などなどーー
6月には「ブルガリア日本語教師会」、8月には「日本語教育連絡会議」、それから「ヨーロッパ日本語教師会」でそれぞれ発表してきました。
また、先述の内容と重複しますが、ファシリテーター的に関わってきた勉強会を、とりあえず「講師」として運営していくことにしばし方針を定めました。
『月刊日本語』の12月号にも短い記事を書きました。
ブログのあり方にちょっと行き詰りを感じて、それで2011年になるのに合わせて専門ブログをスタートしました。
ーープライベートーー
ハンガリー語を休み休み勉強していた他は、これがあまりたいしたことなかった面かもしれません。
休みの日には、家の近所をぶらぶらして、いつの間にか顔見知りになった近くの人たちと「やあ」と挨拶を交わすのが楽しみという、ひたすら地味な日常でした。
国外には何回か行きました。
3月には仕事でドイツのケルンへ、6月には同じく仕事でロンドンへ行きました。
4月のマケドニア行きはアイスランドの火山灰のため流れてしまいましたが、5月にはOPIのインタビューでスロヴァキアを訪問し、そのままウィーンへ。
6月にはブルガリアで教師会に参加させていただき、それから8月には日本語教育連絡会議でチェコのブルノへ、それからヨーロッパ日本語教師会のシンポジウムでルーマニアのブカレストへも行きました。
・・・というと、どれも半分仕事ですね。
完全にプライベートで旅をしたのは、7月のセルビアとモンテネグロ一週間、それから12月にオランダのアムステルダムに行ったこと。
特にセルビアとモンテネグロはどうしても行きたかった場所なので、本当に行けてよかった。
写真です。まず、モンテネグロ、コトルの丘からフィヨルドを見て。
こちらはモンテネグロのスベティ・ステファン島。
モンテネグロ、ヘルツェグ・ノヴィの街。クロアチアとの国境近くです。
モンテネグロの路地。どの街にも、こんな路地があちこちに。
あの場所では今も同じように海があって、人が住んでいて、船が海を渡っているのかな、と時々思います。
そして、セルビアのベオグラード。
NATOの空爆で破壊されたままのビルです。
タクシーの運転手さんに私が広島出身だと言うと、それまで陽気な話しかしていなかったのが、「アメリカはひどい、本当にひどい」と何度も言っていました。
(同じようなことを、ドイツで知り合ったイラク人にも言われたことがあります)
バルカンに行くといろんなことを考えて、この冬には辺見庸の『もの食う人々』を読み返しました。
私は旅行が好きで、特に飛行機に乗っての旅行が好きです。
飛行機に乗って降りると、ハンガリーもセルビアもモンテネグロも日本も、空という点ではつながっているんだなあと思えます。
おまけは冬のアムステルダム。アンネ・フランクも、きっとこんな景色を見ていたはず。
2011-01-17 04:51
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