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アゴタ・クリストフ『文盲』 [日本語教育]

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チャペックやクンデラは読んでいた時期があったのですが、そういえばハンガリー文学とはご縁がないなあ。

と思っていたら、そうとは知らず昔アゴタ・クリストフ(ハンガリー風に言えばクリシュトフ・アゴタ???)を何冊か読んでいたことに気付きました。
そうか、亡命した人でした。「東欧の人」「フランス語文学者」程度の認識だったよ。

で、たまたまこの人の自伝『文盲』を読みました。

★以下、ネタバレありです。

1956年のハンガリー動乱時、夫と赤ん坊とともに国境を越えてオーストリアに逃げ込んだこと。
それから、言葉もわからないフランス語圏のスイスに行ったこと。
難民収容所で、とても親切な人たちに囲まれている中で、自分たちがまるで動物園の動物のような気分になったこと。
それから工場労働者になったこと。
読むことが大好きだった子どもが、「文盲」になってしまったこと。
失ったものの大きさ。
一緒に逃げた人たちも、せっかく自由の国へ行ったのにけして幸せにはならなかったこと。

・・・うん、これは日本語教育関係者、特に日本で帰国者や就労者や難民や出稼ぎの人たち、はたまた「お嫁さん」など、生活者に関わっている人はけっこう必読の書ですよ。

それから、二重言語の子の教育に関わる人にも。
スイス育ちの子どもがお母さんの話すハンガリー語がわからなくて、お母さんも子どものフランス語がわからなくて、ついに泣いてしまうなんていうのは、「何故異国で親は悩むのか・不安なのか」というキーワードにもつながってくる気がする。

物質的にも安全でも完ぺきなのに、ここは砂漠のようだという移住者はけっこういるんじゃないか。
それに対して私たちは、「日本はいいところでしょ」「安全だしきれいでしょ」と安易に言ってないか。

アゴタ・クリストフもいいなと思ったのは、彼女はものすごい努力の末、フランス語を覚え、読み書きもできるようになり、しかもフランス語で小説を書いた一大成功者なのだけど、スイス人の友人が、
「テレビで難民を見たけど、あの人たちフランス語全然できなくて、朝から晩まで工場で単調な仕事をしていて、それから家で子どもの世話までするようなひどい生活をしているのよ」
と言ったとき、
「私もスイスへ来たとき、そうだったわ」
という視点を忘れていない。

「朝はいつも同じ車掌。太った、陽気な男だ・・・この人の感情を害することなしに、わたしの知っているわずかのフランス語の単語でもって、あなたの美しいお国はわたしたち亡命者にとっては、砂漠でしかないのだと、いったいどうすれば説明できるのか。その砂漠を歩き切って、わたしたちは「同化」とか「統合」とか呼ばれるところまで到達しなければならないのだ」

私も日本では、「お嫁さん」や「その連れ子」や「帰国者」とか「研修生」とか、もちろん「私費留学生」といった人たちに関わってきたけれど、彼らが私のことをこの「太った陽気な車掌」のように思っていると感じたことは多々あります。

クンデラなどと違って、アゴタ・クリストフは故郷で著名な作家だったわけでなく、大学に行っていたわけでもなく、外国語も話せない、どちらかと言えば貧しい生活を送っていた人で、それだけに「普通の人が国を出ていくこと」を考えさせられました。

1940年代、50年代の、ハンガリーの田舎の日常や学校生活、それからスターリン死去の時の様子なども書かれています。


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