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制限の中で何を行うか、ということ [いろんなことから考える]

今までの海外勤務はいずれも任期付き派遣だったので、「いつか帰る日」は最初から決まっており、延ばしてもせいぜい一年程度という状態で仕事をしてきました。

そういう状態で仕事をしていると、お客様的立場の限界も感じますし、その地に腰をすえて仕事をしている先生にはかなわないと思うことが多々ありました。

基本的に今でもそのようには思っているのですが、最近少し変わったことがあります。
それは、「制限の中で何を行うか考える」ことの大切さです。

例えば、限られた任期で何ができるか。
その間に、目の前の学習者に、一緒にいる人たちに、その国や場所の日本語教育に何が残せるか、という発想。
そういう中で試行錯誤しようとすること。それを考える訓練をし、実践を積むこと。それって当たり前のようで、実は忘れそうになってしまう視点なのではないかなと思います。

「限られた任期」だけではなく、これっていろんなところに当てはまるんですよね。

例えば、6か月しか受講期間がない学習者。
さまざまな制限の中でのプロジェクト。
さらにもっと教師の具体的な状況から考えれば、何の視聴覚機材もない教室。機材どころか、紙やコピーもままならない環境。
1クラス50人や100人で行わなければならない会話授業。どんなに日本語に自信がなくても指導しなければならない作文教育。
モチベーションのない学習者。学習ストラテジーのない学習者。雰囲気の悪いクラス。日本語教育に無理解な周囲の環境。理想の学習イメージと現実の受験対策の落差。
・・・挙げていけばキリがないなと思います。

以前はこういった次々ふりかかってくる種々雑多な問題を、種々雑多なまま個別に対処しようとしていた気がします。けれどもそうなると、軸がない状態で果てしなくふりまわされてしまうんですね。
でも、「制限の中で何ができるか」という視点を自分の中に置いておき、その部分を鍛える訓練を意識的にしておくと、何となく軸がすっきりとしてくるような気がします。

任期つき派遣で仕事を続けるということは、例えば各地の実践、多様な経験を自分の中に積み重ね、客観的に持っておくことができるというだけではなく、「限られた中で何ができるか」を考える機会にもなるのではないかと、改めて最近感じます。
現地に根をおろしている先生方に敬意を表することはもちろんですが、「そうでない自分」というものに、その立場だからこそできるプライドを持つことは、やはり必要ではないかと思います。
(あ、でも本当にできないことや、やらないほうがいいことがあった時、それを見極める力も絶対に必要なんですよね)

もともと、基本的に「グチきらい」という性質があります(実は)。
ただ、どんなにグチきらいでも、どんなに考えようとしても、何もないところには何も生まれないわけで、「問題を常に意識的に持ち歩いておくこと」、それから「自分自身にインプットをし続けること」「インプットされたものを吸収する力」を持っておきたい、と、思っています。
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