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教養としての日本語 [いろんなことから考える]

日本で日本語教育に関わっている人とお話すると、思うことがあります。
例えば、
「中東欧の学習者はどうしてあんなに優秀なんでしょう。身近に日本人がたくさんいるわけでもなく、就職に直結しているとも限らず、どうして日本語を勉強するのかと聞いても<好きだから>という答えしか返ってこない。それなのに非常に高いレベルまであがっていく。それは何故なのでしょう」
という疑問を提示された時。
今までにも、何度も何度も聞かれたことでもあります。

これを聞かれると、思うことはあります。それは、「実用ではないからこそ天井がない」「趣味だからこそ高いレベルまで登れる」という部分はないのか、ということです。

生活の中で、「・・・ができるようになる」ということを目指す、まさにCan-do。
「C1以上は目指させない。なぜならそれは<美文>といったスタイルに関わるものだから、とりあえず実用には必要ない」
と、例えば言い切ることは、もちろんひとつの目標設定でもあり、安心感にもつながるものですが、もし「その言葉を学ぶこと自体が喜び」であれば、どんどん高みにあがっていくのではないか。
この地域の学習者たちは、そうやってどんどんあがっていっている可能性はないのか。

もちろん学習スタイルの相違もあると思います。
中東欧に来て、以前住んでいた場所に比べて、「あ、ここは違う」と思ったのは、<暗記>が生きている、ということです。
もちろんひらがな学習に苦労しているという話もよく聞きますが、それなりにモチベーションがあるクラスだと、「ひらがな、覚えといて」というと、コツコツカツカツ、次の週には一人で覚えてきてしまう、というのが一般的。
漢字にしても、形、例文、音読み、訓読み、筆順、部首、画数に至るまで、きっちりきっちり覚えてきそうな気がします。
そういう学習スタイルが下支えになっているとは思いますが、それだけなのか。

確かに、日本語が実用言語であることで、モチベーションは高まる。
日本語力も高まる。
だけど、実用言語じゃないとしても登っていける可能性、というのはないのかどうなのか。
実用じゃないからこそ、「これは必要じゃない」と決めてしまわず、何もかも吸収したくなるような気持ち。

私自身が外国語を専攻する学生だった時、一番語学力でかなわないなあ、と思っていたのは文学専攻の人でした。言葉に何だか深みがあるのですね。
で、今ほど留学が一般的ではなかったとはいえ、海外が学生にとってそれなりには身近になっていたので、会話することもきちんとできる人たちだったな、と思います。

そういうことを考えてみたいと思っています。
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