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海外の苦手 [いろんなことから考える]

時々、日本から来られた学生さんとお話する機会があります。
特に、教育実習などで来られた学生さんには仕事内容についてご説明したり、「海外に暮らすこと」についてお話したりするのですが、その時、いつも思うこと。それは、
「海外で辛いことって何だろう」。

一般的な心構えとは別に、私個人が「辛い」「苦手だ」と思う点や、人から聞いたことはいくつかあります。

まず、絶対的なインプット量の少なさ。
たとえ言葉がわかる国でも、入ってくる情報がとても限られている。
また、外国語を通して入ってくる情報だと、どこか「物の輪郭をグローブの上からなぞっている感じ」が抜けない。
そうすると、何だか自分が物を知らない人間になったような、ものすごく頭が悪い人間になったような、そんな感じがいつもしていてそれが苦しい、というのがあります。

それから、人間関係。
「海外はのびのびできていいね」とも言われますし、確かにそういう面もあるのですが、意外と限られた人間関係や、知り合いの知り合いはみなつながっている状態が、一歩間違えると閉塞感につながる危うさもあるのではないかと思います。ただ、これは人によって受け止め方は違うでしょう。
また、現地語が十分にできない場合は、現地の知り合いは外国語ができる人に限られてしまうので、これもまた人間関係が閉ざされてしまう理由ではないかなと。
私と同年代だと、それぞれ仕事や家族の世話に明け暮れているので、外国人にいちいち構っている余裕なんかない場合が一般的で、一番話をしてみたい同年代の友人ができにくいというのもやや辛いところです。

何をもって苦手とするかというのは人それぞれなのでしょうが、とにかく、「苦手な状況を知っておくこと」「それを解消する方法を知っておくこと」が一番大切なのではないかな、と思う今日この頃。

私の場合、街歩き・自然の中歩き・何かを発見することとか。
それから、一言でも二言でもいいから、現地の人と現地の言葉で何かを話すこととか。
新しい言葉を、ちょっとでも覚えること。
ひとつでも、「昨日と違う何か」を、街の中に見つけようとすること、などなどなど。

でも、やはり一番自分を元気にするのは、自分は何故ここにいるのか、という軸をブレさせないことかな、と思います。もちろん目的が変わることはあるでしょうが、目的を見失ってしまうのは私にとってかなり危険な状況のような気もするのです。

何故海外に出ようと思ったか。何故ここにいようと思ったか。そもそも何故自分は海外の日本語教師になろうと思ったか。
ともすれば不安定になりかねない海外の日々の中で、そういう軸を時々確かめたい、と思うのですが、皆さんはどうされているのでしょうか。
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コメント 4

炎の料理人

>どこか「物の輪郭をグローブの上からなぞっている感じ」が抜けない。

なるほどなあ。非常によくわかる表現です。言葉はモノゴトを理解するための道具でもあるわけだけど、母語というのは、たとえばモノのちょっとした突起やささくれまで表現できるけど、非母語となると、どうしてももどかしさが残る、ということなのでしょうね。しかも、相手との間に共通の文化的な基盤がないため、「言い尽くさなくてもわかる」ということも期待できないし。
by 炎の料理人 (2011-03-08 10:24) 

juni

>炎の料理人さま、

この表現は確か誰かが使っていて、「ああ、そうだな」と思ったものです。
特に抽象的な話や不慣れな話題になってくると、わかっているのかもよくわからないという状態が起こりやすいような気がします。
ある程度言葉がわかる状態で行ったドイツでは、そういう状態もそれはそれとして楽しめたのですが、ただ「情報が少ない」というもどかしさはすごくありました。
日本に住んでいる外国の方はどんな気持ちなんだろうな、と思います。
by juni (2011-03-09 07:24) 

えびせん

「自分の軸をぶれさせないようにする」というのは、同感です。
海外にいる時だけに限らないと思うのですが、人って、時々不安になる時ってありますよね。だから、自分のスタート地点に立ち返って、自分の歩いている道が自分が求めていたものかどうか考えてみることは大切なことだと思います。
僕は日本語教師の世界から出てしまいましたが、今歩いている道は新しいビジネスマンとしての道で、割とうまく歩けてると思います。
でも、僕のほうは知りあう日本人はことごとく年長者ばかりで、若者との触れない(同年代を含む)が恋しい今日この頃です。
by えびせん (2011-03-09 21:25) 

juni

>えびせんさま、

そうですね。何でもスタート時に戻ることって大切ですね。
私ももともとの専門をやめて日本語教師になっているだけに、逃げ場がない中でやってきてしまいましたが、<どんな>日本語教師になりたいと考えていたかを、えびせんさんのコメントから思い出すことができました。ありがとうございます。お互い、がんばっていきたいですよね。
私のほうは、若者との接触はやはり多いですね。職業柄ですよね。
by juni (2011-03-10 06:40) 

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