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らくがき [日本語教育]

学生って、こういうことしますよねー。

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授業前のホワイトボード。
もうすぐ一年の修了です。

この一年、日本語を通じてみんなが素敵な時間を過ごしてくれていたらいいなと思います。




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スロヴァキアにてインタビュー [日本語教育]

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相変わらず続いている私のOPIインタビュー放浪記。ついに国境を越えて、先週末はスロヴァキアへ行ってきました。
お付き合いくださったのは、スロヴァキアで日本語を教えていらっしゃる先生方。ありがとうございます!

今回も、いろんな話をすることができました。
教育のこと、仕事のこと、スロヴァキアの自然について、それからジプシーの問題や社会主義時代のこと。
社会主義時代のことはその後お昼をご一緒しながら話題にも出ました。
たまたま私は1989年の夏にモスクワ経由でヨーロッパに来ることがあって、それが初めての海外だったのですが、
「モスクワの空港が暗い、電気もついていない、人がいなくて銃を持った人だけが立っている、免税店も広告もない、立派な街なのにガラガラで人影がなくて、どこまで行っても静かで重い感じ」
が不思議だったという話をすると、
「私たちは西側の様子を見て、どうしてあんなに何でもピカピカしているんだろうと思ってた」
との答え。
ちょうど同じ時代に同じものを見て、そしてこんなに違う印象を持つこと。そのことを不思議にも面白くも感じました。

21年前の夏、語学コースの研修でウィーンからスロヴァキアまでドナウ・クルーズもして、国境越えをした時に「チェコスロヴァキアなんだ」と考えてドキドキしたことや、結局上陸しなかったブラティスラバで、船の上からお城を見ながら「いつかあそこを歩く機会があるんだろうか」と思ったこと、いろいろ思い出しました。
やっぱり若くて感性が豊かな時に、可能ならばいろいろ見聞きしておくって大切です。

OPIのインタビュー放浪記が大変ながらも楽しいのは、本当にいろんな話が出るから。
特に30代以上の人と話すと、仕事のこと、社会のこと、歴史や教育のこと、差別の問題。言語能力に関わらず、いろんな話ができる。
ずいぶん以前、イタリア映画の「明日を夢見て」の中で、「カメラの前ではみな人は本当のことが言える」というようなセリフがありました。
OPIは箱庭的なものという批判もあるかもしれないし、もともとアメリカで生まれたものなので議論のさせ方や評価の基準などが日本語の談話としてそりゃ不自然かもしれないけど、「本当に話せた」という気持ちを持ってもらえるなら、その部分は本当に大切にしたいなと。
(こんなだから、超ポジティブと言われるのか???)

お忙しい中わざわざ付き合ってくださった先生方、ありがとうございました。
またいつか、いろんな話がしたいなと思っています。

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<個>とそして<場>と [日本語教育]

ゲームが好き。アニメが好き。ドラマが好き。で、ネットやDVDを駆使した結果、独学にも関わらず、日常会話が一見するとネイティブのようにベラベラになった若者たちに会う機会が多くあります。
で、そういう若者が既に話せるのにクラスに通ってくることの意義は何だろうと思うことが時々あります。

自律学習。
e-learning。
個人化。
ポートフォリオ。
CEFR。

そういったキーワードが久しく議論を賑わせています。

この場合、「彼らはまだできない能力がたくさんあって(語彙の片寄りとか段落の展開とか)、それを伸ばす必要がある」とか、「こまかい知識の穴を埋めるため」とか、「ブラッシュアップのためには教室学習が効率がよい」とか、まあだいぶ以前から言われていることはここでは取り上げますまい。

実を言うと私、語学のクラス授業というのは自分自身があまり好きではないのです。

外国でやる分にはいいのですね。
クラスにいろんな人たちがいて、みんな「外国人同士」で、共通言語を通じて不思議な連帯感が生まれて。それは本当に充実した、またとない時間となると思うのです。
でも日本で語学をやる場合、あまりクラス授業が好きではない。この場合のクラスとは大学や高校などの授業ではなく、英会話スクールとかカルチャーセンターとかそういったものを意味します。
なんというか、求めていたものとクラスのペースが合ったためしがないし、クラスにだいたい「ちょっとできる人」がいて、その人の性格がクラスを決定してしまう。例えばその人が妙に自信満々だったり先生を独占したり、クラスの中もお互い「どのぐらいできるか」を牽制しあってたり。

で、もともと習い事が非常に苦手で(・・・本当です)、出不精なのも重なって、やめてしまうというのがパターンでした。

・・・よほど不幸なクラスを見聞きしてきたのでしょうねえ。


唯一楽しめたのは、前も書いたけど民団の韓国語クラス。これは面白かった。
教え方がどうこうというのをすっ飛ばして(先生、ごめん)、先生の豪快なキャラに引き込まれ、韓国満載の教室の雰囲気を楽しみ、それから、いろんなサークルが練習してたり教室外の人も出入りしてたり。まあそりゃそうですね。民団の建物の中にあったわけなので。


一人でもある程度学習が可能な昨今、わざわざ足を運んでくれる人たちに私たちは何ができるのか。
<個>以上のものとは何なのか。
逆に、私たちの<場>が、<個>の世界の魅力を台無しにしてしまわないようにする必要。

そんなことを考えて、ちょっと来年(9月から)はいろいろやってみたいと思っています。

と同時に、「楽しいだけでは足りなくなること」「楽しいだけでは伸びないもの」もある気がするし、そこはまた課題として意識しておきたいと思っています。

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東欧はやっぱり可愛い [日本語教育]

さて4月末のこと、職場にこんな物が届けられました。何、このズダ袋?

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結び目はこんな感じ。

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おや、チェコから届けられた物のようですねえ。

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開けてみると、チェコで制作された「漢字・数独」でした。ちょうど大量注文していたのでした。このデザインもまた可愛い!

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「漢字・数独」のアイデアもさることながら、デザインの可愛らしさに悩殺されました。
雑貨ファンに東欧好きの方も多いというのもちょっと納得です。このレトロ感がいいですよね。

一応カテゴリーは「日本語教育」にしてみました(笑)。



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Twitter その後 [日本語教育]

あいかわらずその後もツブツブとやっている、juni_sachikaです。

これをやっているとやたら内省してしまって、いいのかどうなのか。

2003年から2004年にかけて初めての海外仕事経験「ドイツ日記」をつけていた時、帰国後に職場の先輩から、
「いやー、ゆにさん、海外にいてあんなに考えてたら大変よ。もっと気楽にいかなきゃ」
と言われたことがあって、自覚がなかった私としては非常にびっくりした覚えがあります。

今回はその時よりかなり自覚的に考えちゃってるわけですが、その中で浮かんだ発想がプロジェクトの中で形になったり、あるいは論文になったり、あるいは思いついたことをぶつぶつやっているうちに「いや、この企画はダメだ」と思ってチャラにしたり・・・という繰り返しは、そんなに悪いことでもないような気がしています。



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Twitter と事業仕分けと [日本語教育]

「ハヤリモノはまず手を出してみてから考える」をモットーにしている私。
ぶつぶつとTwitterを使うようになって、だいたい20日ほど経ちました。

この20日間の間に事業仕分けが行われたのは全くの偶然です。。。

時差の壁に阻まれて、リアルタイムで仕分けの様子を見守るのは断念。
「起きたら終わってるんだろうなあ」と思いつつ就寝。
寝て、起きて、Twitterでタイムラインをざっと見て仰天。
これはもう以前から使いこなしている人には当たり前なのでしょうが、世界はここまできていたのかというような。実況中継のように仕分けの過程が一目瞭然で伝わってくるわけです。どんな質問が出たとか、どういう回答があったとか、その時の雰囲気とか。ううむそうか、と思いつつ眺めてしまいました。

で、今回の関連ツイートは、Midogonpapaさんがまとめてくださっているものがあります。 →こちら


いろんな意見がありますが、shokutoさんもご自分の呟きの中で言われている、「独法のみなさま・・・普段なかなか知ることのできない意見がそこにはあり、みなさんはそれを知ることが大切だと思うのです。 」という言葉にいろいろ感じたのでした。

そういう私も、今は現場型教師というよりはコンサルテーションやアドミニが業務の中心なので、「本名出して発信型ブログにしたほうが書きやすいんじゃないか」とずっと思っているのですが、ついつい昔からの名前の<ゆに>で、「ホワイトアスパラが好きだ」なんてことも混ぜつつ書いています。

まあ、そこまでマメではないので、わざわざプライベート日記を分けたくないというのも理由です。一応ブログは日本の友人や家族への近況報告も兼ねているので。

ただ、「どう思われているかを知るということ」そこから何をくみとり、そして自分たちに生かし、その上で自分たちをどう発信していくかということについては、やはりきっちり考えていくこと。それは今後どの組織に属していくにせよ、あるいはもしかして<個>として活動していくにせよ、大切なことではないかと改めて感じたのでした。


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日本人であると言えること [日本語教育]

パーリンカ・パーティー・ピクニック編を一足早く退席。
春のマルギット島をてくてく歩く帰り道、楽しかったなあ、ああいう機会、中国の学校でももっとつくるべきだなと思ったのだけれど。

考えてみたら、中国の公園で集まって大きな声でのびのびと日本語で笑ったり、野球をしたり、そんなことってできたのかなと。
時々学生たちと外で会うことはあったけど、その時も「今日は芦溝橋事件の勃発した日だからあまり日本語で話さないほうがいい」と言われたり、いろんな経験がありました。
考えてみれば、住んでいた住居のまわりでは日本人でないふりをしていたのです。みんな、わかっていたのかもしれないけれど。

そう考えると、堂々と日本人であると言えること、日本語で話せること、歌えること、笑えること。そして、日本で人気のスポーツを一緒にやって楽しめること。
そのことの幸せを改めて感じたのでした。
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パーリンカクラブ・ピクニック&野球編 [日本語教育]

さて、私が最近仕事がらみで考えることが多いのは、「人と人とが会う場面」です。
「場面を意識して練習することの大切さ」は中国の時に意識したテーマでしたが、その<場面>というのは本当に現実のものなのか、かといって現実性を追求することによって、現実の可能性が少ない場面を切り落としてしまってもいいのだろうか、などということをごそごそ考えています。

そういうわけで、受講生たちに「遊びに行きましょう」と誘われた時も、今までとはちょっと違う視点で楽しむ毎日です。といってもやってることはひたすら楽しく遊ぶなど、あまり変わってはいないかもしれません。

さて、この週末も毎度「パーリンカ・クラブ」を開いている某受講生たちが、「パーリンカ・クラブ・ピクニック編」を企画したのに乗じて一緒に遊んできました。

春いっぱい・花いっぱいのマルギット島に集合。
手作りのお菓子、おにぎり、持ち寄りの飲み物(いろんなジュース、桜のお茶にパーリンカ!)、サッカーボール、それから何故か野球道具一式。
途中で偶然会った日本人家族といっしょにお弁当を囲んだり、ハンガリー組はその後野球大会に突入したりと、たくさん笑って楽しんで、とてもいい一日でした。

夕方から会議を入れてしまっていたので、途中で帰ったのが残念。
皆さんへの課題は、
「今回出席できなかった先生に、パーティー・ピクニック編の一日について報告すること」といたします^^
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Twitter [日本語教育]

人に影響されてTwitterでつぶつぶと始め、10日ほどたちました。
以前アカウントだけつくったものの完全に放置していたのですが、「ちょっとやってみるか」という感じで。

ブログが海外生活の話題も多いのに比べ、Twitterでは殆どが日本語教育に関わる内容で、アイデアや発想、読んだ本の題名などが中心です。他の人が見たら、多分意味不明な独り言も多いはず。
あ、でもいきなり「今日の朝ご飯はホワイトアスパラ!」なんてやってるかもしれません。

もともと企画や論文の内容、業務に関わる議事メモなどは一定のノートにどんどん書き出していっているので、何もそこからわざわざ引っ張り出さなくてもいい気がするのですが、Twitterに移すときには何と言うか、自分自身に対するイマシメとか、あるいは意識化しておきたいこととか、そういった視点でろ過されている気がします。

とりあえず10日ほどたっての感想ですが、長くて3~4行なので、見返してみると関心を持ったことがざっと目に入るのはたしかに面白い。周囲の人の呟きからもいろいろなことを感じているし。

HPをつくったのが2002年の初めで、それからの8年の間に、Web上の記録に自分を載せていくやり方もその都度変わってきています。
世の中の変化ももちろんありますし、自分の立ち位置とか、そういうことも含めて変わってきているんだろうなと思います。




というわけでとりあえず、 juni_sachika でやってます。ということでした。
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OPI練習ラウンド提出(結果はまだ) [日本語教育]

OPIといってもネイルとは関係ございません。口頭能力評価のOPIです。

コンサルテーションやコーディネート業務中心の今の生活は、人の言葉を借りれば「万年放電しっぱなし状態」。で、ここらで少し蓄電したいということ、どうせ一時帰国するならその機会を活用しようと思って受講したのが年末のOPIワークショップでした。

ワークショップ終了後も自作ロールプレイの提出と評価。
8人分を提出するために延々30人近くにインタビュー。
それから評価表2種類の記入。
ただし、要求される提出物は担当の先生によっても少しずつ違ってくるようです。

その間も同期メーリングリストの間では「録音に失敗した!」「この場合はどう評価すれば・・・」「やりとりが難しい」など本音満載の、でもその内容自体がとても刺激になるようなメールが飛び交い、「義務ではない」との言葉にすっかり弱気になって一時は挫折宣言した文字起こしも「いや、あれだけの受講料を払ったのだから自分のためになるから」と、週末を二回つぶしてむりやり決行。
提出後は爽快感を通り越して、へとへとくたくたでした。

OPI自体には好き嫌いもあると思いますし、OPIを扱った論文の中においても「複言語発想の欠如」が指摘されるなど(『プロフィシエンシーと日本語教育』の中で鎌田修先生が書かれた「ACTFL-OPIにおけるプロフィシエンシー」)いろいろ考える材料もあるのですが、まずは取り組んでみて面白かったことをいくつか。

・「できるようになってほしい/できていてほしい」ということを問う。

当たり前のようで意外と忘れられがちなこと。
なんていうか、特にクラスの中で学習者に難しい課題を与えて「できないでしょ、もっと勉強しなきゃ」ということはありがちだけれど、実はその与えた課題が学習者にとっては全然どうでもいいテーマだった、ものだった。他にも「できないじゃん」と言ってヨロコブとか。

・知識の有無を問わない。

よくありますよね。「そんなこと言われても知らない・・・」と黙ってしまうこと。それが「言語能力が低い」という評価につながらないようにする。
ただしこの問題と、「このぐらいのことは知っていてほしい/できていてほしい/対応してほしい」という問題をどうすりあわせていくか。特にOPIを授業実践に生かした場合は考える課題になるはずです。

・易→難とあげていく手法。

これはもう、語学教師にとっては当たり前すぎるほど当たり前なのですが・・・。
でもやはり改めて訓練できたのはよかった。
学生時代、帰国子女などととばかり楽しく歓談しているネイティブ教師が本当にイヤだったのを思い出しつつ。ドイツ語未習なんだって。

・さらに、難→難へとあげていく。

これはわりと無自覚だったのですが、自分ではっと気がついたこと。
それまでに経験してきた口頭能力評価の場では、とりあえずタスクを与えて達成すると安心してしまったのですね。「タスク→OK→安心」という流れ。話は続けていても、雑談になりがちでした。
自分では一問一答式をやっているつもりはなかったのだけれど、手法はそうなっていたのだなと。

・<突き上げ>に対する意識

で、何で「難→難」へあげていきにくかったかというと、やはりタメライがあったからかも。意地悪な気がするわけです。
でも不慣れながらも実際に試みてみると、意外とそうでもない。
こちらも「聞く態勢」をつくっているし、いきなり突拍子もない振りはしないようにと意識しているからでもあるんだけど、ものすごく一生懸命に、何とかして意思を伝えようとしてくる。そのことの再発見。




こんな感じでしょうか。
「インタビューの最後は十分話せるレベルのところに設定して気持ちよく終わる」なんてのも面白かったです。
まあ、それでもって「たくさん話した!自分は中級だ!」と思ったのに初級の判定がきたりしたら本人はびっくりかもしれませんが(評価ですからね)、でも会話術のようなものとしての面白さも非常に感じました。

私は外国にいるからか、「日本人と話せるだけで嬉しい」というインタビュー希望者が続々つめかけたり、ハンガリー人の先生が「ぜひうちの学生とも話してほしい」とアレンジしてくれたり、終わった時に「わ、こういうインタビューは本当に面白い」と言ってくれる人がいたり、更にはインタビューがきっかけで仲良くなった人がいたりと、いろいろ嬉しい副産物もあったのでした。



しかし続きはまだまだこれから。
今のは練習ラウンドなので、次は本番というか認定ラウンド。果てしない・・・。
とりあえず、今回のグループの合言葉は「一期一会」。インタビューに来てくれた人と話すのはもしかすると人生に一度きりかもしれないということからですが、さてこれから延々秋までの間に何が起こるのか、ちょっと楽しみです。

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